コンテンツ連動型広告は少し狂っているくらいが面白い

ユーザーが興味を抱いているものをその瞬間に表示することができる広告、それこそがコンテンツ連動型広告(Google AdWordsのディスプレイネットワーク、コンテンツターゲットであったりプレースメントターゲットなど)の醍醐味であろう。

ただこのコンテンツ連動型広告でより大きな成果を上げ続ける為には、興味を抱いたその瞬間に広告を表示させるだけでは不十分だ。その為には提案型の配信を行う必要があるし、それを実現させる為には徹底的な仮説ドリブンによる思考法が必要不可欠であるのは以前書き出したとおりだ。

参照:仮説ドリブンでリスティング広告を成功に導く方法

これと同等のことは他の事例でも上げられるのではないだろうかと考えていた矢先、面白い例えがGoogleの及川卓也さん(@takoratta)が書かれた書籍、「挑まなければ、得られない Nothing ventured, nothing gained.」の中で書かれていたので一部を紹介したい。

レコメンデーション機能は少し狂っているくらいが面白い
Amazonのおすすめ商品に代表されるような、パーソナライズされたサービスどのリコメンデーションって、完璧ではない。ちょっと一回見ただけのものが履歴に残っている限り、その関連商品を薦めてくるのはまだ仕組みが理解できるからいいとしても、どうしてこの閲覧/購入履歴から、これがおすすめなのかと思うことも少なくない。(中略)気が狂ったリコメンデーションを見ても、目くじらを立てて怒るのではなく、笑い飛ばして、新たな発見をありがとうとネットワークの向こうのウェブサーバーにお礼を言おう。

挑まなければ、得られない Nothing ventured, nothing gained. (インプレス選書)
及川 卓也
インプレスジャパン
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非常に面白い例えだと思う。たしかにレコメンデーション機能が履歴から導き出されるような再訪だけを促すようなものだけであれば、僕は今ほどまでにAmazonのヘビーユーザーにはなっていないはずだ。

ザ・ゴールを読んだ後にファンクショナル・アプローチを紹介してくれたり、そのあとにイシューからはじめよとの素敵な出会いを呼び込んでくれたのは僕自身の自主性によるものだけではなく、Amazonによる影響が大きいのは否定できない。

たしかに及川さんの言うように、”レコメンデーション機能は少し狂っているくらいが面白い”と僕も思う。

そんなことを書き出しているうちに、昔友人に言われたことを思い出したので少しだけ書き出してみたい。僕は24歳ころから本の虫になり、自宅のTVのコンセントを抜き、外部との接触をPCと携帯のみとした頃が3年ほど続いた。何を隠そう僕自身もそういったある種ストイックにも見える自身を追い込んだような生活に優越感のようなものを感じていたのかもしれない。(当時はTVみないぜ=カッコいいと思っていたはずだ。全くそんなことないということは後々になって知るのだ…)

こんな話を10年来の友人に話すと、当時の僕には想像もできないような回答が返ってきた。それは「TVは自分の欲しい情報以外のものを教えてくれる。」というものだった。

確かにそうだ。TVは半ば受動的なメディアともいえる。なんとなく見てしまったり、だらだらと見てしまう傾向があるため、僕にはどうしても怠け者のイメージが付いていたのは否めない。これを一定の期間と言えど完全に断ち切り、能動的なメディアからしか情報を得ていなかった自分はなんと視野の狭い環境の中で生きているのだろうかと痛感したことは記憶に新しい。

勿論、何かを成し遂げようとするのであれば、ある程度不要と思われる何かをシャットアウトし、集中する期間を設けることは重要だろう。ただし、人づきあいが掛け替えのない事同様に、受動的なメディアなどからの新しい発見も掛け替えのないことなどではないだろうか。
(ある程度制限をかけて情報を取得するのは良いことだと思う。)

つまりこういったTVを代表とするような受動的なメディアから得られるであろう”気づき”のようなものは、自身の視野を広げてくれる機能も果たしているのではないだろうか。

これらを踏まえ、半ば強引であることを承知でまとめに入ってしまえば、さまざまな思考を持ったユーザーをある程度選別しながら広告を届けることができるコンテンツ連動型広告は真っ当に配信するだけでは不十分で、少し狂っているくらいが面白いのではないだろうかと僕は思う。

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