成果主義がもたらす効果と不幸

さまざまな経営論をさまざまな方々と議論すると、以前にもまして成果主義についての話が出てくる機会が多くなった気がする。

僕の周りでもフリーランスで活動されている方々も非常に多く、成果主義は非常に支援者の多いシステムの一つになっているのだろうか。

自身でもその渦中に身を置き、実際にそれを目の当たりにしていたことがあるが、成果主義はある程度以上の成果を発揮することが多々ある。ただし、誤解を恐れずに言えば、多くの場合、過剰な成果主義の行きつく先は破綻なのはあまり知られていない。

僕の知る限りで、その中の一部をご紹介したいと思う。

成果主義がもたらす効果

「過剰な成果主義の行きつく先は破綻」と言っておきながら、やはり成果主義が大きなエネルギーを生むことは間違いない。

人は誰しも競争に打ち勝ち、突出することによって大きな報酬を得ることに大きな快感を覚えるだろう。またそれらは一時だけの可能性もあるが、尊敬の眼差しを向けられ、優越感に浸ることにもなり得るだろう。

そういった眼差しが向けられれば、上に立つ者はさらに向上し、さらに上に進もうとし、下の者はその背中を追いかけ、追いつき、追い越そうと努力する”正の循環”が待っている。これこそが成果主義がもたらす最大の効果なのではないかと僕は思っている。

上司が素敵な女性とレストランで食事をし、高級なワインを飲み歩き、ピカピカの革靴を履いて出社すれば、憧れない男子などはいないのではないだろうか。

# 例えはダサいけど。

成果主義がもたらす不幸

それでもやはり「過剰な成果主義の行きつく先は破綻」なのだ。

人間には無限の欲がある。デキる人間は一定のラインを越えれば更なる報酬を求めだす。これは自然の摂理だ。成果主義の構造上、利益をもたらしたのであればもたらした分だけ与えられなければ納得するはずもない。

ところが、多くの成果主義社会はそれを許さない。報酬は一定のラインを超えると、見えない天井で固定化していまうのだ。

そしてデキる人間はこれを許さない。多くの成果主義社会では「会社の為」「人の為」という理念が通じにくい為である。成果主義である以上、”利益をもたらしたのであればもたらした分だけ与えられなければ”意味がないのだ。

ここまで上り詰めると、このデキる人間は既に多くのスキルを身に着けており、独自にビジネスを立ち上げる事だって既に可能なっていることがほとんどだろう。顧客の信頼を一手に受け、パトロンや投資家だって既に声を上げてきているかもしれない。こうなればそのデキる人間は転職するなり、独立するなり、次の環境へ歩みだすのだ。

成果主義社会は常にできる人材を流出し、新たなできる人材を見つけ出す。一見良い循環のように見えるが、組織には8:2の法則で言われているように一定以上のできない人間も存在することを忘れてはならない。その組織に魅力がなくなればそういった人材だけで組織が構成されてしまう恐れがあるのだ。

そうなれば、社内にノウハウと顧客は溜まりにくく、魅力のない組織になっていくのは明白なのである。

# これを回避するには青天井での成果主義を約束しなければならない。
# デキる人間が流出しないケースもあるが、成果が今以上に見込めない場合は腐っていくケースがほとんどだ。腐ったみかんは他のみかんを腐らせる。

成果主義がもたらす効果と不幸/まとめ

ここでは決して成果主義を否定しているのではない。

どこぞの外資系証券会社などであれば、成果主義をフル活用し、短期で良い人材を回転させるというのも一つの形なのである。このスパイラルが循環するうちは非常に魅力的な組織なのだ。特に金融や証券などのいわゆる普遍的なシステムの中ではこのスパイラルがうまく循環するのではないかと思う。

ただし、一方で成果主義は心をすり減らし続ける可能性もあることを忘れてはならない。

人参を目の前に吊るされて永遠に走り続けるのは一部の人間を除いて非常に難しいと僕は思う。

ある程度の成果主義は必要なシステムだと思う。頑張った人が頑張った分だけ得られるのが資本主義の良いところなのだから。だが、上記でも上げたとおり過度な成果主義は長い目で見れば破綻への道を突き進むことになるだろう。

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