データ至上主義の危険な罠
ここ数年、さまざまなビジネスにおいてデータの果たす役割が大きく変化しているのかもしれない。「ビッグデータ」なんて言葉はその最もたる例の1つでもあり、もはやバズワード化しているといっても過言ではないだろう。
ビックデータについて言えばいろいろ言いたいことはあるけれど、色々とあるのでここでは多くは言及しないけれども。
話を戻そう。
Google AdWordsであればディスプレイネットワーク、DSPやRTBなどさまざまな箇所でデータ利用の重要性は理解されつつあるだろう。特にこのブログの読者の方々であればその必要性・必然性を感じる度合いは通常の方々よりも大きいはずだ。ただし、僕はデータありきの考え方には危惧を覚える。
最近で言えばバナークリエイティブなどの多変量解析などがその最もたる例であげられる。最近よく耳にするのは数百パターンにも及ぶクリエイティブの中から最適なクリエイティブを半ば強制的に導き出すような手法を採っているなどであろう。更に彼ら、もしくはその周辺の方々の言う「最適なクリエイティブ」というのはCTR(クリック率)を最重要評価対象としているというのだから苦笑してしまわざるおえない。確かにCTRは重要指標の1つであることに間違いは無いんだが…。
あのねぇ。クリック課金の媒体においてCTRをゴールと考えている時点でもう撤退して頂いたほうが世のためなんですよね。(掲載期間などで料金が決まる媒体においてはその限りではない)CTRなどのデータは確かに大事だ。僕だってCTRは一つの重要指標として捉えている。
ただし、データ至上主義に陥ってはいけない。CTRがどれだけ向上したって腹の足しにもなりゃしないのだから。だからこそ、考えることのほうが先で、その誤差を補正するためにデータを利用することが本来のあるべき姿のはずなのだ。でなければ、人間は成長すらしない。はじめからデータありきになってしまうということは、考えることを止めるということ。つまり、自ら思考停止の道を選択することと同義で、自身の成長を止めることになるのではないだろうか。
ここでいう「考える」というのはストーリーだ。裏側にいるお客さんはどんな人で、どんな状況にあって、どんな願望を内に秘めているのか。それらを徹底的に考えた上で、そういったターゲットにはどういうクリエイティブが刺さるのか、どういう配信先が最適に当たるのか。そして、どういう状況になればコンバージョンするのか、など、ストーリーテリング無くして再現性のある最適化はあり得ない。つまり、個々人が優れたストーリーテラーにならなければいけない。
ファンクショナル・アプローチでお馴染みの横田 尚哉氏は著書、ビジネススキル・イノベーションの中で以下のように述べていた。業種は違えど、大きく同意する。
データが充分でない時にこそ頼れるのは自分の感性です。感性を磨くためには、データがあろうとなかろうと、まず感性ありきで物事を判断することが大切です。あくまでもデータは感性を刺激し、修正する手段に過ぎない。経営の上流にいくほど、データではなく自分の感性で判断する意識が求められます。
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繰り返しになるが、データは大事だ。しかし、データが主役になってはいけない。そして何よりも、考え続けることを止めてはいけない。
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