イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」/感想


本書は現ヤフー株式会社 COO室室長の安宅和人氏による書籍です。

安宅和人氏は生物学→マッキンゼー→イェール大→マッキンゼーという経歴の持ち主で、その流れは本書の中でも随所にちりばめられています。

まず、本書の書評を書くにあたって、「イシュー(Issue)」とは何ぞ?というところから入らないとしっくりと来ないと思います。

イシューとは
「イシュー」とは、「2つ以上の集団の間で決着のついていない問題」であり「根本に関わる、もしくは白黒がはっきりしていない問題」の両方の条件を満たすもの。つまり、問題に対してその場で「何を考え、論じるべきか」を指し、「考え、論じる目的」を押さえることを「イシュー」と指す。間違えがちだが、「いま、この局面でケリをつけるべき問題=イシュー」ではない。

※言葉にするとちょっとややこしいですがこれが私の「イシュー」というものの捉え方。

イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」/レバレッジメモ

イシューを見極める
問題はまず「解く」ものと考えがちだが、まずすべきは本当に解くべき問題、すなわちイシューを「見極める」ことだ。
「これは何に答えを出すためのものなのか」というイシューを明確にしてから問題に取り組まなければあとから必ず混乱が発生し、目的意識がブレて多くの無駄が発生する。

仮説を立てる
強引にでも前倒しで具体的な仮説を立てることが肝心だ。「やってみなければわからないよね」といったことは決して言わない。ここで踏ん張りきれるかどうかが、あとから大きく影響してくる。

言葉で表現し、比較表現を入れる
新商品の開発の方向性のイシューの場合であれば、「てこ入れすべきは操作性」というよりも「てこ入れすべきは、処理能力のようなハードスペックではなく、むしろ操作性」としたほうが、何と何を対比し、何に答えを出そうとしているのかが明確になる。

イシューらしいものに惑わされない
イシューらしいものが見えるたびに、「本当に今それに答えをださなくてはならないのか」「本当にそこから答えを出すべきなのか」と立ち返って考える。「答えがだせないもの」は良いイシューではない。時間の無駄だ。

一時情報に触れる
いかに優れた表現、情報といえども、二次的な情報は何らかの多面的かつ複合的な対象のひとつの面を巧妙に引き出したものに過ぎない。そこからこぼれおちた「現実」は、それを直接見ない人には認知できない。よって、数日間は集中的に一時情報に触れることをお薦めしたい。

集めすぎない、知りすぎない
人がある領域について関心を持ち、新しい情報を最初に得ていくとき、はじめはいろいろな引っ掛かりがあり、疑念をもつものだ。それを人に尋ねたり解明していくたびに、自分なりの理解が深まり、新しい視点や知恵が湧いてくる。これが消えないレベルで、つまり「知りすぎたバカ」にならない範囲で情報収集をやめることが、イシューだしに向けた情報集めの極意の一つだ。

イシュー分析の基本
「最後に何がほしいのか」から考え、そこから必要となる要素を何度も仮想的にシュミレーションをすることが、ダブりもモレもないイシューの分解の基本となる。

目線が高い人は成長が早い
実際のところ、どのような分野であっても、多くのプロを目指す修行のかなりの部分は既存の手法、技の習得に費やされる。この際に「イシューから始める」意識を持っていれば、さまざまな場面を想定した技の習得意識は大きく高まる。

優れたプレゼンテーションとは
「混乱の中からひとつの絵が浮かび上がってくる」ものではなく、「ひとつのテーマから次々とカギになるサブイシューが広がり、流れを見失うことなく思考が広がっていく」ものだ。

マービン・ミンスキー
いわゆる天才とは次のような一連の資質をもった人間である。

  1. 仲間の圧力に左右されない。
  2. 問題の本質は何であるかをいつも見失わず、希望的観測に頼ることが少ない。
  3. ものごとを表すのに多くのやり方を持つ。一つの方法がうまく行かなければ、さっさと他の方法に切り替える。

要は固執しないことだ。多くの人が失敗するのは、それに執着しているというだけでの理由で、なんとかしてそれを成功させようとまず決め込んでかかるからじゃないだろうか。

マックス・デルブリュック

  1. ひとつ、聞き手は完全に無知だと思え
  2. ひちつ、聞き手は高度の知性をもつと想定せよ

※どんな話をする際も、受けては専門知識は持っていないが、基本的な考え方や前提、あるいはイシューの共有からはじめ、最終的な結論とその意味するところを伝える、つまりは「的確な伝え方」をすれば必ず理解してくれる存在として信頼する。「賢いが無知」というのが基本とする受け手の想定だ。

エンリコ・フェルミ
実験には2つの結果がある。もし結果が仮説を確認したなら、君は何かを計測したことになる。もし結果が仮説に反していたら、君は何かを発見したことになる。

「So what?」の繰り返しによるイシューの磨きこみ

初めは読み進めても少し?な部分が多く、なかなかイシューについて深く理解することが難しかったのですが、この「So what?」の繰り返しによるイシューの磨きこみによって僕の中での”イシュー”の本質が理解できましたので図解します。

※クリックで拡大します。

ここでは「地球温暖化は間違い」という初めのイシューを「So what?」を繰り返すことで本質的なイシューへ育てていきます。結果的に「地球温暖化を主張する人たちのデータは偏っていて、データの取得方法も怪しい」というイシューを導きだすことができています。このあとに何をすべきかは初めよりも明確ですね。

イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」/まとめ

人生は何かを成し遂げるためにはあまりにも短いため、時間を有効に利用するために優れた知的生産を育てるのが本書のイシューの役割であるといいます。

個人的には読み進めるうちに、問題解決についてということでは問題解決のためのファンクショナル・アプローチ入門の上級者版というようなイメージで、上級者版という表現よりももしかしたら研究者的アプローチという方がしっくりきます。

本書の最後の方でも下記のような感想が記載されておりましたが、私も同様の印象を受けました。

これまで(与えられた問題にどう対処するのか)と考えていただ、まず(本当の問題の見極めから入らなければダメなんだ)ということが良くわかった。

恐らく、ほとんどの方がこのような印象を受けるのではないかなと思われます。

問題解決について直接的な答えを導きだすのではなく、「何を考え、論じるべきか」から導きだすための手法が満載の素晴らしい書籍だと思いますし、直接的な答えを出さないものにフォーカスするような書籍は今までなかったのではないかな?とも思います。

また、仮説の立て方や分析の仕方などはアクセス解析の手法を酷似していて見ていても非常に面白く、異なるアプローチなどは大変興味深い内容となっています。

思考プロセスや問題解決などについて悩まれている方や興味がある方、また、私のブログをご覧になっている方々にはかなりお薦めの書籍だと思います。必ず、新しい視点を手に入れられると思いますよ。

イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」
安宅和人
英治出版
売り上げランキング: 23

執筆/掲載記事

▲