「伝える」ということをもう一度考え直すべき


今年に入ってからというもの、西日本にお邪魔することが増えていて、まぁ、僕自身はあまりこれまで西日本に行くことって出前セミナー以外ではなかなかなかったのでいろんな気づきや文化の違いを感じることが多くなりました。

そんな中でものすごく違和感を感じた標識があったので思わず写真をパチリ。上の画像は名古屋駅の新幹線乗り場のトイレの方角を指し示す標識なんですけども、この矢印通りにいくとなると、右の少し奥にある階段を登って新幹線のホームに上がらなければいけないことになるんですね。

そんな馬鹿なと思いつつも、とっても純粋な僕はトイレに行かねばならないという使命感に駆られホームに上がっていったのですけども、そこには案の定トイレはないわけです。僕だけだったら恥ずかしいなぁと思って周りを見渡すと、同じようにきょろきょろしていらっしゃるオジサマがいるわけでして、どうやらこれは僕だけではないぞと。

※実際にトイレはその階段を通り越して奥ばった箇所に埋め込まれるように配置してあり、標識の場所からは確認不可だったのです。

つまり、この標識は本来の役割を果たしていないんですね。結局のところ利用者の視点が足りないがために起こり、自社都合(標識を掲げる柱が無いだとそういう都合)で起こった現象なんじゃないかなと。隠しカメラでも仕込んで1日で何人トイレに行くために新幹線ホームに上がっていくのかを眺めたいものです。僕が仮にお腹壊してるほどの緊急時だったら訴えられるレベルです。

んじゃぁ東京駅はどうなってんだいってことなんですけども、おおよそわかりやすい感じです。

ここでは右斜め上を指してます。


その反対側ではまっすぐ上を指してます。これらの矢印通りに進むと…


トイレへのエントリーフォームまでのナビゲーションが親切に設置されているので、これで迷うような人は完全なるDQN認定されてしまうほど親切に設置されているわけですねぇ。

結局のところ、どんなに親切に設置したって間違ったりする人はいるんでしょうけども、どんな状況でも前提条件などを踏まえて、間違ってしまうユーザーを出来だけ最小限にしておきたいものですね。改めて、さまざまなことで「伝える」ということをもう一度考え直すべきだなと。

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ちなみに名古屋駅の標識の問題を解決する為には、「↑」「→」という二つの矢印を設置することで事足りるのではないでしょうかねぇ。簡単なことなんですけどねぇ。

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