安易な謝り文句は知らず知らずのうちに自身を思考停止に貶める


「すいません」・「はい」・「申し訳ありません」

何かしらのトラブルが発生してしまった時、半ば反射神経的にこのような謝り文句を使ってしてしまうことはないだろうか?

勿論、自身の起こした行動によって何かしらの不具合が発生しまったような場合、つまり要因が明確であるのであれば、即座に謝ることは社会における人間性を保つ為にも非常に重要なことだ。それが大人であれば尚更だろう。

ただし、要因がまだ不明確な状態でこういった発言をする人間は信用に値しないと僕は思う。安易な謝り文句でその場を”とりつくろう”としているのが透かして見えるようだからだ。

Lake Edge Nomad Inc.の四角大輔氏(@4dsk)は著書である”自由であり続けるために 20代で捨てるべき50のこと”の中でこんなことを言っている。

なんでも非を認めると楽だ。
会議に遅刻しても、書類のサインを間違えても、伝票の数字を見落としても、しっかり目を見て、「すいません」と言い切れば多くのことが許される。
(中略)
「すいません」の根っこには、「なんとなく」が隠れている。「なんとなく」という適当な判断でおこったトラブルは、なんの改善ももたらさない。簡単に「すいません」と言ってはいけない。言い訳しろというわけではなく、「何がいけなかったのか?」「詫びるべきことはなんなのか?」自分なりにはっきりさせてから、頭を下げよう。心の底から本気でお詫びができる人間だけが信用されるし、より大きなチャンスを任せられるようになるんだ。

自由であり続けるために 20代で捨てるべき50のこと (Sanctuary books)
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問題に直面したのであれば、問題の本質を見極め、抜本的な解決を行わなければ過ちは繰り返されるのではないだろうか。

一度「安易な謝り文句」の盾を捨ててみよう。

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