達人のサイエンス―真の自己成長のために/書評


さまざまな業界で「達人」と呼ばれるような方々がいる。「●●と言えば△△」といった形で半ば代名詞として利用されることだってある。そんな人たちは果たしてはじめから「達人」だったのか?

答えは「NO」であろう。

本書ではこれら「達人」のことを総じて「マスタリー」として紹介している。では、「マスタリー」とは一体どんな定義なんだろう?マスタリーとはさまざまな定義があるが、その原則は変わらないという。それは豊かな成果をもたらすが、ほんとうは目的地や終点なのではなく、むしろ一つの過程であり旅なのだと紹介している。

あぁ、なるほどな。その旅自体がマスタリーと呼ばれるものなのだそうだ。このマスタリーへの道は、何も特別な才能を持つ人だけのものではないし、運よくスタートが早かった人にとってさえ確かなものではない。そう、つまり「マスタリー」とは現在進行形で進化し続ける、豊かな成果をもたらすプロの歩んでいる道そのものなのだ。

ではその方々は初めからマスタリー街道をまっしぐらに進んでいたのかというとやはり違う。マスタリーへと到達するまでに「プラトー(学習高原。学習が伸び悩んでいる時期で、学習曲線が水平になっている状態)」なども経験する上に、プラトーはさまざまな事においてその期間が長い。


※マスタリーの学習曲線

画像はスタンダードなマスタリーの学習曲線を表している。マスタリーへの道は思ったほど早く成果が出るものではなく、チャレンジャーは幾度となく大幅に後退しながら、延々と続く道を前にプラトーの長い期間を過ごすのだという。プラトーではどれだけ懸命に練習しても、これといった進歩がなく、これはゴールが気になってしようがない人にはつらい事なはずだ。だからこそマスタリーへ到達する人間は決して多くはない。安易な道にそれてしまうのだ。

ではどうやったマスタリーの道を突き進み続けるのか、これを非常に分かり易い表現で紹介してあるので抜粋してみた。

われわれは特定の動作を自分の筋肉に記憶させるか、特定の動作が「自動操縦」になるまで、何度となく不慣れな動きを練習しなければならない。

~中略~

認識システムと努力システムは習慣システムに情報を伝えて、習慣システムをプログラムし直すのだ。この再プログラムが終了すると、両システムは隠れてしまう。

~中略~

マスタリーに到達するための最善の策とは、一言で言えば、勤勉に練習すること、そして最初のうちはできるだけ練習のための練習をするということだ。そしてプラトーにいるときもそれを不満に思うことなく、スパートが起きた時と同様に、プラトーに感謝して、その状態をエンジョイするのを学ぶことだ。

非常に興味深い書籍だった。これまでも自身で意識はしていたものの、頭の中で描いていたこと、これまで考えてきたことを図解を通して明確にしてくれたのが本書だった。

僕が本書で学んだことは、マスタリーへの道に近道はないということ。地味かもしれないけど、勤勉に努力し、プラトーでさえ楽しむ気持ちで臨み、習慣システムをリプログラミングし続ける道、それがマスタリーへの道なんだろうねぇということ。

ただ、人間は”本能的に”変化を嫌ってしまう。それは変化に対して平衡状態を維持しようとする働き、いわゆるホメオスタシスが働いてしまうからなんだ。だからこそホメオスタシスそのものの存在に気づかなければ、それ以上の成長はあり得ない。そのものに気づくことができれば、自身を思うがままにコントロールすることが出来るようになるということ。その為には、強い意志も必要だということなんだろうと思う。

これって「自身と向き合う」とか、「根本から物事を知る」とかと一緒なんだろうなぁとつくづく痛感してしまった。以前書いた記事、原理原則を覚えようとする人の方が突き抜けるでも紹介したように、物事の問題点を根本から解決するには、対象としているものが何であるのかを徹底的に知らなければならないという話と同じだ。

少し強引だけど、結局のところ、自由とは何かしらの制限を受け入れることでやってくるのではないか。そんなことを改めて考える機会が出来た書籍だった。

中だるみするけど、面白い書籍です。マスタリーへの道を模索している方々にお薦め。

達人のサイエンス―真の自己成長のために
ジョージ レナード
日本教文社
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